体罰そのものが悪いわけではない

2013/01/11 MSN産経クリップ

大阪市・都島区の市立桜宮高校・男子バスケットボール部主将だった2年生男子生徒が昨年12月、顧問の教師から体罰を受けた翌日に自殺した件で、また例によってマスコミと怪しい人権を振りかざす連中の主導で過去に何度も繰り返された愚かな情報操作合戦が繰り広げられていてうんざりする。

最初に断っておくが、今回私が書くのは上記の高校生が自らの命を絶ってしまった件についてではない。
事実、これまでにも「体罰」という名でサディズム的欲求を満たすのが目的だけの明らかな暴力犯罪の例も多々あった。
こういう場合は当然ながら「体罰」とは言えない。
上記の記事の例が「体罰」だったのか「暴力犯罪」だったのかは精査しなくてはならないし、私は「暴力犯罪」を「体罰」という名で隠蔽する更なる犯罪を許すつもりは一切ない。
しかし、この痛ましい自殺にかこつけて、今回も問題の焦点を意図的にずらそうと必死に画策している連中がやたらと目立つので、ここはバシッと書いておこうと思うだけだ。

決して体罰自体が悪いのではない。
高校生くらいまでの子供においては、また、特に部活の指導においては尚更だ。
子供の教育の場において、家庭でも学校でも地域でも、いわば社会全体で適切な体罰は必要である。
罰を受けるに値する行動があるならば、あるいは罰を受けることによって子供本人が自分の至らなさを実感し、学び、成長することが事実としてある以上、体罰は必要で有益かつ有効な手段なのである。

問題は体罰が、子供にとってプラスの方向への効果を結果的にもたらさないような与え方をされる場合と、体罰を与えた後の様々なフォロー如何なのだ。
フォローするのは体罰を与えた本人である必要は必ずしもない。
周囲の友人であったり、他の教師であったり、家族であったり、それらとは全く別の第三者でも良いのだ。
本来の教育は、こうして子供を取り巻く周囲の者全てが関わって行われるものであり、そしてその中で教育的に、効果的に行われる体罰は、人間が本来持つ「弱さ」を克服した強靭な精神を育むのだ。

私は中学生の頃、部活で顧問の教師から再三にわたって殴られ続け、卒業するまでの3年間で殴られない日はほとんどなく、おそらく千回近い回数を殴られ続けた。
強情すぎるほどに強情だった私に対する顧問教師の私怨の情が全く無かったかどうかは定かではないが、今では私はあの頃、徹底的に殴られたことを誇りにすら思っている。
殴り続けた教師も、殴られ続けた私も、それをフォローし続けてくれた両親や、友人や、担任の教師も含めて本当に大したものだと思う。
数々の大会の会場でも大勢の観衆の面前で、身体が吹っ飛ぶくらいに張り飛ばすことも公然とやっていたのだ。
1回だけ、応援に来ていた他校生徒の保護者からクレームが入ったというような話を聞いたことがあったが、少なくとも私が卒業するまで、その顧問教師は変わることなく殴り続けた。
体育会系の部活の場では、そういうことは珍しくはなかったし、地域全体でも「そういうことは必要だろう」という認識があったからだ。
そういう社会も、実に大したものだと思う。

思い返せば、あの頃は常に唇が切れていたり、顔にあざがあったり、頭に出来たコブの上に更にコブが出来てボコボコしていた(!)が、後遺症が何一つ残らない殴り方だったことを考えると、あの顧問教師の殴り方はなかなかのものだったのである。
ある意味、体罰のプロであって、尊敬に値する。

私は自分が正しいと思うことは、幾ら殴られても曲げようとはしなかった。
「お前は殴られないと判らない奴だ」と言われたが、殴られても判らなかったことは沢山ある(ほとんど判らなかった、と言っても良いくらいだ!)。
だが殴られ続けたことで、尚更、そういう強情な精神は強くなったと思う。
そして、その精神が今の自分をどれほど支えているかと思うと、やはりあの頃の体罰に心から感謝したいのだ。

私は殴られていることから逃げようとはしなかった(殴られる事がわかっていて、意図的にやっていると言われていたくらいだ)。
それは自分だけでなく、周りもみんな殴られているからということもあったかもしれない。
そして殴られている者に対する身の処し方を、学校、家庭、社会が心得ていたということもあるのだろう。
いわば、体罰が当たり前の世の中だったわけだが、現在よりもそんな世の中が悪かったとは全く思えない。
いや、「体罰」というものに一律に過剰反応する幼稚な今の世の中の方が遙かに混迷を極めているではないか。
無法地帯と化した「学級崩壊」なんて当時はあり得なかった。
そういう環境で育った子供は、身体だけは大きくなり年齢はとっても、決して幸せにはなれないだろう。

こんなことは良識があれば議論するまでもないことだ。
教練の場に、常に体罰は必要なのである。
それが積み重なって、ここまで治安の安定した、世界に名だたる日本の社会を作り上げたのだ。

可笑しいのは、こういう問題で「体罰」の中身も精査せずに騒ぎ立てる連中と、シナ(CHINA)や朝鮮やロシアが我が国に行っている領土侵犯などの無法行為に対して、「武力を表に出しても解決にならない。すべて話し合いで解決すべきだ」と主張する連中が、ものの見事に重複していることである。
ついでに、そういう連中は凶悪犯罪者の死刑についても「加害者の更生の機会を国家が奪ってよいのか」と発狂して叫ぶ連中とほぼ重複する。
そして戦前・戦中を暗黒時代であったかのように捻じ曲げ、軍隊で実際に日常的にあった「しごき」を非人道的な悪行であったという側面だけで語りたがる。

こうして見れば、「体罰」という言葉を一律に悪者に仕立て上げてマスコミで騒いでいる連中が、実はどういうことを最終目的としている連中なのかが分かるだろう。

なんていうことはない。
本音と建前を使い分ければ良いだけのことだ。
必要な体罰は、これからも必要であることに違いはない。
良識のある日本人は、こんな浅ましい連中の戯言に、いちいち萎縮する必要など一切ないのだ。

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