曽野綾子さんの「イエスマンの国」に思う

数日前、12月23日の産経新聞に曽野綾子さんが寄稿していた「イエスマンの国」が素晴らしく、そして思うところが多々あったので、ご本人に無断で大変恐縮だが、是非多くの人に読んでいただきたく紹介したい。

2011/12/23産経新聞「イエスマンの国」曽野綾子

上記画像だと粗くて読みにくい方もあるかも知れないので、以下にテキストを書き出しさせていただいた。

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小さな親切、大きなお世話 作家 曽野綾子

 イエスマンの国

 先頃、オリンパスの元社長、ウッドフォード氏が日本人の経営陣には「イエスマン」ばかりだったから、あのような結果になった、と発言した。彼は会社にとっては新参で外国人だったので、唯一思ったことを述べられる立場にいたのであろう。
 私は人生のほとんどを、一匹狼で通す作家という仕事に就いていたのだが、時々出版の世界にも「イエスマン」がいたことを思いだす。
 私は昭和も30年近くなってから作家生活に入ったのだが、それ以来ごく最近まで闘ったのは、新聞雑誌テレビなどのマスコミの、言論統制であったことを、普通の人は知らない。初期の頃、新聞は創価学会に対する批判は一切許さなかった。広告収入の第一のスポンサーだったからだろう。
 第2の波は、中国におべっかを使った時代である。中国の批判記事は署名原稿でも書き換えを命じられ、それを拒否するとボツになった。産経新聞以外の全マスコミが、足並み揃えて中国や時には北朝鮮礼賛もしたのに、それを謝罪したマスコミは一社もない。
 第3の波は特定の人に対する盲目的尊敬を強要し、その人に対するいかなる批判も許さなかったことだ。司馬遼太郎氏に対する批判記事には、新聞社の幹部までが異常な反応を示し、その部分の訂正を求めて来た。しかしこれは司馬氏の責任ではない。
 第4の波が、差別語に対する長い年月に及ぶ執拗な言葉狩りだった。一例をあげると、らいという病気は「らい」が正確な病名だが、ハンセン病と表記しないと許されない。最近でこそ、かなり多くの新聞とほとんどの雑誌がそうした圧力を掛けなくなったが、私の作家としての半世紀はこの差別語狩りと闘うことも大きな心理的な仕事だった。
 差別の心理は、個々に批判されてしかるべきだ。しかし現世では差別語も必要なのである。なぜなら作家は善ばかりでなく、悪も書くのだから、悪を表す表現も残しておかねばならないのである。
 戦後、日本の官庁にも会社にもマスコミにも、そして家庭にも、イエスマンばかりがはびこった。理由ははっきりしている。人々が物質的な安定を生涯の希望とした結果、教育も勇気ということを全く教えなくなったからだ。つまり正しいことを意識し、自分の思想を持ったら、結果として言うべきことは言い、時には出世はもちろん命の危険にかえても自分の思想を通すべきだ、などと誰も言わなくなったのだ。
 イエスマンはどの分野にもいる。もちろん芸術家にもいる。学界にも学閥を泳ぎ切るために、世にも醜悪なイエスマンが増えた、と私に教えてくれた人がいた。
 かつて中国は「批孔」と称して孔子の思想の一切を否定する社会運動を起こした。それ以来、半世紀も経たないのに、今ノーベル平和賞に対抗した「孔子平和賞」なるものを作り、しかもそれを政治的に使おうとしている。魂から、香気ではなく臭気が匂うというものだ。ただイエスマンになるのを防ぐには、組織をクビになっても何とか生きていける道を、常日頃用意していなければならないだろう。私の場合それは畑作りで、今も細々とやっている。
                                  (その あやこ)

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オリンパスの話は私には分からないが、ある特定の狂信的な人間達からの執拗な「抗議」という名の嫌がらせや脅迫を避けるため、言論人や映像作品の作り手たちが自ら規制を設けて、ある種の表現に対して神経質かつ消極的になっていく背景については、元・産経新聞記者であった安藤健二氏の「封印作品の謎」などにも詳しく書かれている。
それが「当たり前」な支那や朝鮮ならいざ知らず、我が国で「上からの」圧力に屈して、あるいは屈する以前に衝突を自ら避けて「イエスマン」になり、あるいはそのイエスマンであることに安住してしまうのならば、世の中は声が大きく強圧的な悪人たちに支配される世界になってしまう。

いろいろな意見があるのは結構。
以前にこのブログでも紹介した山本夏彦氏の「当人論」で明快に表現されていたように、いろいろな立場から自分の立場を主張するのは自然で健康的なことでもある。だが、「イエスマン」であることは健全な姿勢ではない。

場の和を重視するのは優しき日本人の良き点であるが、譲れない場でも譲ってしまうのは卑しさであって優しさではないのだ。
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司馬遼太郎氏に対する批判記事を書くと修正を求められる【曽野綾子】

12/23の産経新聞の記事 曽野綾子さんのコラム「イエスマンの国」より、 http://storymachine.blog65.fc2.com/blog-entry-59.html (産経のサイトにはなかったので個人ブログの方から拝借) ~~(引用はじめ)~~ 私は人生のほとんどを、一匹狼で通す作家という?...

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