どんなテレビ番組よりも箱根駅伝中継が好き

2012/01/02 MSN産経 箱根駅伝・往路

私は一年を通じて、どのテレビ番組よりも箱根駅伝の中継が好きだ。
かつて仕事で年末年始も仕事をした事があったが、そのときでさえ、箱根駅伝の中継だけはしっかり観た。

箱根駅伝はどうしてこんなにも心を打つのだろう。
走者の競技に臨む姿勢、過酷な練習、チームのため、そして来年の後輩の為にも走り続ける選手たちの姿に、毎年胸が一杯になる。
ブレーキを起こし意識が朦朧としているのに、それでも襷(たすき)をつなぐために、前へ前へと進もうとする選手たちの姿に嗚咽する。懸命に走る彼らの姿、精神性に、これほどまでの美しさを感じるのは日本独特のものなのかもしれない。
今日の、往路5区で前人未踏の記録を打ち立てた東洋大学の柏原君の「僕が苦しいのはせいぜい1時間ちょっとのこと。福島の人達の苦しさに比べれば全然きつくなかった」旨の言葉に打ちのめされた。厳しい練習を日々こなし、そして本番で結果を出し続けるという事がどれほど大変なことか。さらに彼は「不調のとき、結果を出せず苦しんでいた時に、故郷、福島の人達は、変わらずあたたかく見守ってくれた。僕は福島の人達から大きな力をもらった」とも言っていた。
福島の人々がどれほど感動したか想像するに余りある。

最近、日本のスポーツの世界にも、大きな世界大会に臨む選手が、やたらと「楽しんで来ようと思います」と発言していたり、「自分のために競技する」というような内容の発言を耳にするが、それに何となく違和感を感じるのは私だけだろうか? もちろん、チームの仲間にプレッシャーを与えないように、との気遣いから「楽しんで来い」というような声が掛けられている場面には実力のあるもの同志の優しさを感じるし、わざと選手にプレッシャーを与えようとする悪意のあるマスコミからの質問をかわすためにこのような言い方をする場面も往々にしてあるから一概には言えないが、おそらく選手本人の心の中は言っている言葉とは全く違うだろう。だからあまりにもそれを言い過ぎることもどうかと思うし、選手や監督以外の競技の当事者ではない者があまりにも「楽しんで」「自分の為に頑張って」と言うのは何となく胡散臭い感じがする。
同じく「参加することに意義がある」という言葉にもどことなく胡散臭さがあると、ずっと感じてきた。
私も10代の頃にスポーツに明け暮れていた時期があった。が、「参加することに意義がある」とも「試合を楽しもう」とも思ったことも一度としてない。ただひたすら「いい結果を出したい」、そしてなんとしても「勝ちたい」、「勝たなきゃ」のみだ。だいたいが負けても何とも思わないような人間がスポーツをやりたいと思うだろうか。それに競技の種類にもよるのだろうが、団体競技であったり、学校代表や、県大会以上の地区代表として参加している大会において「自分のため」だけに闘うという意識はなかった。特に応援団が来てくれていたりすれば自分のためというよりも「応援してくれる人のためにも絶対に負けるわけにはいかない」という気持ちの方が強かった。

そして今、競技をする側ではなく観る側、応援する側となっても、母校を、郷土を、祖国を背負って闘う姿は本当に美しいと思う。
箱根駅伝だけにはそういう、まやかしの空気が流れていない。だから、数ある競技の中でも特に美しいのだろう。

毎年、年の初めに彼らの清々しい姿を見せてもらえることは、私にとって何ものにも替え難い、この上なく大切なものなのである。
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