「民意」という無責任極まりないもの

私用でブログネタにするのが数日遅れてしまったが、先週金曜日7月6日の産経新聞に哲学者・適菜収氏の『賢者に学ぶ』で“「民意に従え」は政治の自殺”が掲載されていた。同日、MSNにもアップされたので産経新聞購読者でなくとも読まれた方は多かろう。

適菜収氏・「民意に従え」は政治の自殺

元記事のリンク先はこちら
 ↓
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120706/plc12070603110001-n1.htm


適菜氏については産経新聞や雑誌「正論」の読者には説明不要だろう。
最近特に目覚ましい論説を展開している方で、「B層」ネタで有名であるけれど、今回は一言も「B層」という語を使わずに、素晴らしい論を明確に展開している。

政治がこれほどポピュリズムに左右されるようになった要因の最大のものは、劣化したマスコミであり、そして小選挙区制だろう。
国民の多くが左傾化した脳を持つようになった原因には学校教育の影響もかなりある。
が、いずれにしても我が国の歴史や政治、国際情勢について、本当は無関心なくせに、テレビだけは日頃毎日、朝から晩までずっとボーっと見ていて、そこでコメンテーターと称される「ド素人」出演者が政治について、実に表層的かつ薄っぺらい素人的感覚のみで発言した「感想」レベルの話を聞くと、すぐに何となく情勢がわかったような気分になって、納得して同感してしまう所謂「B層」の人々がこの国のどれほどの割合を占めているのかは、身の周りを見渡せば何となく想像はつく。
そして彼らが中心となって構成されるポピュリズムの総体であるいわば「民意」が、如何に低レベルな結果を生むのかは、適菜氏が上の記事で指摘している小泉純一郎の「郵政選挙」をはじめ、前回の衆議院選挙での民主党による「政権交代」の結果・顛末を見ればおのずと明らかであろう。

問題は、「民意」を構成した「個々人」は無責任であることだ。

2009年の衆院選で、民主党に投票した人々は「民主党に騙された」とは言うが、詐欺師に騙された自分は可哀相な被害者だと思っているのだから呆れる。
騙された自分には責任はないという態度だ。
民主党による政権交代だけではない。
大東亜戦争の敗戦後、同じ態度をとった国民がどれほどいたかを思えば、つまりいつでも「民意」なんてものは、そんなレベルのものであって、いつでも「民」はまっとうで、思慮深く、利権に囚われないで正義を貫く個々人の集まりであると自称したがるものの、実はそんなことは全くなくて、いつでも「口実」として上手く利用されている「数」でしかないのだ。
この「数」も、本当に個々にしっかりとした思想を持っているのならば心配は無いが、前例を繰り返すまでもなく、適菜氏がウォルター・リップマンの言を引いて指摘するように常に「大きな声」や「うっとりするような声」にふわふわと左右され、「民意の支持」という口実に利用されているだけなのだ。
そして当然のことのように、「民意」を構成する個人は、その結果の責任を一切取らないのである。

私が危惧するのは、最近非常に頻繁に耳にする話に、この無責任極まるポピュリズムに国運を預けることになりかねない例が多く含まれるからなのだ。
昨日の新聞にも記事が出たように、我が国の将来のエネルギー基本政策に相当する、原発比率を決定する際に国民の意見を反映するべく「討論型世論調査」という手法を導入するという話を始め、首相公選制や、憲法改正(あるいは現憲法の破棄)の国民投票といったような話である。

責任を取らない「民意」に権利を与えるのは如何なものか。
その民意の中には、我が国を弱らせる事が目的の人間も大量に含まれ、そしてそういう人間がより一層大きな声を出し、うっとりするような声を日々、マスコミで垂れ流しているである。
そんな声によって容易に動かされる無責任な「民意」によって、我が国が動かされていいものなのだろうか。

真剣に考えたい。

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とても魅力的な記事でした!!
また遊びに来ます!!
ありがとうございます。。
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田ノ坂 斗人

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