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「死者」不在の戦後教育

私事に追われて、アップするのが遅れてしまったが、先週土曜日の産経新聞に掲載されていた貝塚茂樹先生の“大和生存者 吉田満「死者」不在の戦後教育”は読ませる。

20112/09/01 産経新聞クリップ

今回も画像では読みにくいと思うのでテキストを書き出しした。

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産経新聞 平成24年(2012年)9月1日

消えた偉人物語
大和生存者 吉田満 「死者」不在の戦後教育

 沖縄特攻で沈没した戦艦大和の生存者である吉田満は、「戦没学徒の遺産」(昭和44年)という文章を残している。特にこの夏は、次の言葉を何度も何度も思い出した。
 「私はいまでも、ときおり奇妙な幻覚にとらわれることがある。それは、彼ら戦没学徒の亡霊が、戦後二十四年をへた日本の上を、いま繁栄の頂点にある日本の街を、さ迷い歩いている光景である。(中略)彼らが身を以て守ろうとした“いじらしい子供たち”は今どのように成人したのか。日本の“清らかさ、高さ、尊さ、美しさ”は戦後の世界にどんな花を咲かせたのか。それを見とどけなければ、彼らは死んでも死にきれないはずである」
 さらに「彼らの亡霊は、いま何を見るか、商店の店先で、学校で、家庭で、国会で、また新聞のトップ記事に、何を見出すだろうか。戦争で死んだ時の自分と同じ年頃の青年男女を見た時、亡霊は何を考えるだろうか」と問う。
 そして「もしこの豊かな自由と平和と、それを支える繁栄と成長力とが、単に自己の利益中心に、快適な生活を守るためだけに費やされるならば、戦後の時代は、ひとかけらの人間らしさも与えられなかった戦時下の時代よりも、より不毛であり、不幸であると訴えるであろう」と続けた。
 戦後教育は「死者」を忌避し、「死者からの視線」を欠落させてきた。「死者」との絆は、「戦前=悪」「戦後=善」という歪んだ歴史教育によって意図的に切断されるか、「死者」の「思い」を正確に「教えない」ことで「生者」とのつながりを断絶させてきた。
 戦後教育のいう「人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念」とは、いま生きている「生命」にのみ焦点が合わされ、自らの生命の礎となった「死者」の存在とその「思い」に目を向けることはなかった。しかし、「死者」の「思い」を無視した教育は、たやすく無機質な「生命尊重主義」に回収されてしまい、ここから真の「畏敬の念」が生まれることはない。
 「死者」の「思い」を無視することは、「死者」に対する倫理の崩壊であり、「死者からの視線」を実感しながら生きることなしに、日本人の道徳の再生はない。
 (武蔵野大学教授 貝塚茂樹)
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引用された吉田満の「戦没学徒の遺産」は、どことなく倉本聰氏の「歸國」の原作本、棟田博著「サイパンから来た列車」の場面を彷彿とさせる。
日本人でありながら靖国神社に参拝しないなどという愚かな行為は、こういった「死者」の「思い」の軽視から始まっているのだ。

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